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418件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-04-07 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第15号

幕末に来日をされた多くの外国人が、日本という国は子供を本当に大切にする国だということをいろいろな書物に書き残していると思います。内閣府のホームページにもこれは出ておりますが、例えば、イギリス外交官であったオールコックは、子供楽園というふうに日本を表現しました。そして、大森貝塚を発見したモースは、子供天国という表現をして物を書いています。

高木啓

2021-03-17 第204回国会 衆議院 国土交通委員会 第4号

この検疫の状態を見て、当時最も進んでいると言われていたドイツの皇帝が、日本に負けた、検疫の技術については我が国を凌駕したと言ったという話が残っており、また、結果的には、それまで、幕末につくられた不平等条約外国人検疫はできなかったんですね。外国人から入ってきていたんです。それを平等条約にする機運が高まり、これならできるだろうということで、不平等条約の改定に進んでいくんです。  

荒井聰

2019-02-20 第198回国会 衆議院 予算委員会 第10号

歴史を振り返りますと、一体万博というのはいつごろからやってきたのかとちょっと調べましたら、一八五一年、まだ幕末です。ロンドン万博が第一回なんですが、それから始まっているんですが、日本参加は一八六七年。六八年が明治元年ですから、その前年に、幕府、それから薩摩藩佐賀藩、これが初めて参加をしておりまして、開催国国威発揚を兼ねて元気で頑張った、こういう記録が残っております。  

竹本直一

2019-02-14 第198回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第2号

ですから、これをもっと強化したいというふうに考えておりまして、例えば今回御視察いただいたエジプトの博物館なんかでは、私、大統領と話したときにも言ったんですけれども、例えば幕末日本の侍がヨーロッパに行ったときに、あそこで、スフィンクスの下で撮った有名な写真があるんですね。

北岡伸一

2018-06-07 第196回国会 参議院 文教科学委員会 第14号

で、明治維新になって、東京遷都というか、東京に来て、天皇陛下も幕末の混乱から公武合体論、倒幕という中で明治維新が起きて、そこで政治のリーダーにということで祭り上げられて東京に来たわけです。それからは僅か百五十年であります。つまり、日本の長い悠久の歴史を見ると、天皇家が発展してきたのは関西であり、やはり京都なんですね。  

松沢成文

2018-02-26 第196回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

例えば、幕末から明治にかけての人物では、吉田松陰高杉晋作坂本竜馬、こういった人たちの名前がばっさり削られているんですよ。そして、そのかわりに、考えさせる教育ということで、なぜか南京大虐殺、従軍慰安婦基地反対運動ベトナム反戦運動戦時性暴力といった、こういう言葉を載せろという形になっているんですけれども、この高大連携歴史研究会というのはそもそも何であるのか。  

杉田水脈

2018-02-22 第196回国会 衆議院 総務委員会 第3号

幕末は、そういう志士の皆さんが、男性の皆さんが考えていてくれたとよく史実で言われているんですけれども、やはりこの時代は、私たち女性もしっかりと、母親としても大人としても、本当に子供たちにちゃんとした日本が残せるかということをやっていかなきゃならない。  そういった意味で、今後とも、小川委員の厳しい批判にさらされながらも、やはり前へ前へと歩いていきたいな、そういうふうに思う次第でございます。

野田聖子

2018-01-30 第196回国会 衆議院 予算委員会 第3号

過去の国難幕末の黒船であり、また太平洋戦争前の状況ということで、目に見えて国難があったかと思いますが、昨今の、まさに今我々が当たっている国難というのは、静かに進む国難であるということで私は認識をしております。  そんな意味で、与野党が対峙するのではなくて、協力するところは協力するということでこの国難に我々は当たらなければならないというふうに私は感じております。  

杉本和巳

2017-05-31 第193回国会 衆議院 外務委員会 第16号

これは、赤水が亡くなった後ずっと、江戸の幕末に出た図面で、たまたまわかりやすく外務省が使ったのかもしれないけれども、これは、韓国のテレビは、本当は色がついていないのに、色がついている図面を使っている、だから、本当は日本は、やはり、色のことを意識していて、竹島を朝鮮領として思っていたんだ、この証拠だというテレビ番組をつくっていったんですよ。  

新藤義孝

2017-05-11 第193回国会 参議院 法務委員会 第11号

そもそも民法という言葉についてでございますが、幕末から明治維新にかけて活躍した津田真道によって初めて日本語に翻訳され、以後定着した言葉とされております。津田がこの民法、この法律民法すなわち民の法と翻訳したことにはやはり意味があることであり、この法律は民に寄り添い、民のためになる法でなければならないと思っております。  

高須順一